この前日、早朝の飛行機でバリに着きました。そしてただちに個展のために84枚の絵をタムカミホテルの壁に飾りました。到着の終日を展示のために使いました。翌朝まず手掛けたのが絵画の値段を決めることでした。地元の購買力を反映したルピアでの価格設定に悩みました。結局日本円に換算するといつもの三分の一ほどの値段にしました。2日目の午後にこの絵を2012年夏のバリでの第一作として描きました。
メイデンヘッドに滞在していた7月9日の深夜に、電話で起こされました。そして母が大腿骨を骨折して手術を受けようとしていることを知りました。私は25日に帰国するための航空券を持っていたのですが、9日の昼の便に変更することができました。急ぎ帰国して、90歳になる母の手術に間に合いました。そして手術前の母に東京の病院で面会することができました。
すべては終わって今、今日バリから専業画家になりました。いつものようにスワスタが、デンパサール国際空港で出迎えてくれました。海岸まで歩きイタリアン・レ ストラン、スティフ・チリで夕食を 取りました。退職前のこの1,2か月はとても忙しかったです。私は日本のことわざ「立つ鳥あとを濁さず」をスワスタに説明 しました。鳥は敏捷でしかも何も纏っていません。しかし私 は美術教師としてのこの37年間で膨大な数と量の絵を描いてきました。そしてそのうちのかなりの作品が美術室に置いてありました。それらをすべて運び去らなければなりませんでした。到着翌朝まず第一に取り掛かることとして海を描きました。今はもう画家なので描きた いと思ったらどこでも止って描くことができます。教師だったころはた とえどんないい題材を見つけたとしても、毎日学校へ行かなければならず、もちろんクラスに責任がありました。
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